同潤会上野下アパートより引っ越しのおしらせ
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建て替えにともない、9年間暮らした同潤会上野下アパートより立ち退きをいたしました。
清砂通りと合わせて12年間に及ぶ「同潤会アパート写真生活」に幕を降ろし、
少しづつ気持ちの整理をしているところです。
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「なぜ同潤会アパートが消えてゆくのか?」という(部外者としての)当初の疑問には
みずからの実体験により現実を突き付けられることとなり、答えを得ました。
建て替えによる再起動が出来ないと、複雑な問題を内包したまま稼動させ続けた建物と
その共同体がどういう末期をむかえるのか、実際にこの眼で見てしまったからです。
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30年に及ぶ再建の取り組みが難航しているうちに、
「結果として最後まで残ってしまったアパートの実情」と、
そこで暮らす住民の皆さんの内々での本音の会話。
高齢化が進み、ひとり、またひとりと去って逝った長老のかたがた。
固定化してしまったヒエラルキー。
住環境に対する世代間ギャップ、人間のエゴと確執、崩壊する共同体、
一部の住民に重くのしかかる負担。
居住者と不在権利者の意識の違い。
トラブルのタネにしかならなくなっていた共有部分を例に出すまでもなく、
時代が必要としなくなった「84年前の復興期の束の間の夢」。
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携帯電話やパソコンなど「自己都合優先型のパーソナルなツール」を必要とする現代人には
真逆の「集住への夢」を瞬間冷凍したかのような復興建築の志しの素晴らしさと、
時代を経てきた建物のみが持つ掛けがえのない佇まいの美しさはあっても、
毎日向き合わねばならない、建物とその設計思想と共同体の「老い」。
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人と人とが暮らす以上、到底叶うはずのない夢と妄想を建築に押し付けて、
その建物を虚像へと仕立て上げながら、世の中に合わなくなれば
消し去ってきたのは『我々自身』なのです。
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この国の建築を含めた「文化」を育んできたのも、
同潤会アパートに価値を見い出さない政治家を選挙で選んだのも、
積極的に空き部屋を購入して当事者になる人生を選ばなかったのも、
ほかでもない我々自身なのです。
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部外者だからこそ感じられた美しさの訳と、居住者の抱える現実を知ってもなお
内心、忸怩たる思いは残ります。撮りためてきた大量の写真と幾許かの借金と
仲良くしていただいた方々との想い出とともに、、、、。
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後悔はありません。
ただ、もう二度と集合住宅に夢を抱くことはないでしょう。
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ひとつ確かなことは
このアパートに関わった多くの当事者にとって、
建て替えは悲願であり希望、再建は新しい生活に向けた
祝われるべき門出なのです。
そのことを信じたいと思います。
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さようなら、上野下アパート。
そしてありがとう、同潤会アパート。
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